コミュニティ、内から見るか?外から見るか?
1年ぶりの更新です。
一念発起して書いているこの記事は、【2枚目】コミュニティマーケティング Advent Calendar 2024 11日目のブログです。
この1年何をしていたかと聞かれたら、それはもう育児です。切迫流産からの安定期を経て5月に第二子を出産し、2歳半差の兄妹に振り回されながらあっという間に1日が終わっていく毎日を過ごしています。
育休期間ともいえるのかもしれませんが、自営業者に育休制度というものはなく(育休手当金もない)、お仕事を再開したあとに戻る対象のポジションが特にないので、事実上は無職期間みたいな感覚でしょうか。
私の場合、facebookとXは仕事をしていないとログインする機会が多くなく(LinkedInに至っては壊滅)ひさしぶりに開くとタイムラインが様変わりして広告やみんなの近況報告が増えている代わりに、「#CMC_Meetup」タグの情報が自然と押し寄せてくる…みたいなことがなくなりました。
2024年はコミュニティマーケティングにとって間違いなく一つの転換点で、このアドベントカレンダーの1枚目や2枚目で多くの方が発信されているようにいくつかエポックメイキングなできごともあったようです。協会設立とか、CMC_Central 開催とか。個人的には、CLS高知がパワーアップして参加者が200名を突破したらしいというのが印象的でした。元々CMC_MeetupとCLS高知・CLS道東に帰属意識のある私ですが、今はこれらのイベントにどれも参加していないので、なんかすごいらしいぞと遠くからゆるーく眺めております。
そう、かつてどっぷり浸っていたコミュニティから外に出ちゃった側になりました。そんな外側の視点からこの記事を書いてみようと思います(前置き長い)。
まずは、コミュニティに参加していた頃のことを思い出してみます。
ことコミュニティマーケティングの文脈で語られる際のコミュニティというのは、参加者のアウトプット量を熱量計測の指標として大事にしています。私の理解ですが、これには2つの意味があります。1つは、それぞれの個人の内なる熱量の高まりを可視化すること。2つめは、アウトプットする=コミュニティという場への貢献になると示すことです。
1つめの点について、かつての私はイベント時でもそれ以外でも「#CMC_Meetup」「#CLS高知」等のハッシュタグ付きでSNSによく投稿していました。 ”アウトプット” がオンラインで投稿/コメントすることとイコールなのかは微妙なところですが、オンラインの情報は計測しやすいのと、実際に我が事として振り返ってもよく投稿していた頃はそのコミュニティに対してエンゲージメントが高かったなあと思うので、あながち外れていないように感じます。
2つめの点については、少し補足します。
コミュニティマーケティングの文脈におけるコミュニティと一般用語としてのコミュニティとの違いを私なりの言葉で整理すると、前者は結果としてマーケティング活動になるくらいコミュニティに遠心力のようなエネルギーが必要で、後者はただ静かにそこに存在しているだけでもいいのです。遠心力のようなエネルギーは誰かが何かをしないと生まれません。裸踊りをする人が一人いるだけでは強大な力になりません。着火した火にみんなで少しずつ薪をくべてあげる行為が積み重なり、ようやく遠心力を体感できます。
でも、薪をくべてあげる行為って具体的にどうすればいいのでしょう? という疑問が生まれますよね。なので、「体験した感想をブログで書く」「SNSで投稿する」「誰かに話す」「イベントに参加する」等の “アウトプット” 方法を提示することにつながっていきます。(もちろん、コミュニティマネージャー側からすると方法提示だけでは足りなくて、参加者がアウトプットしたい!貢献したい!と思える場づくりの工夫がないと誰も動かないわけですが。)
とにかく、大好きなコミュニティと出会って、私もこの場に貢献したいと思ったらアウトプットすればいいと知り、アウトプットしていたらコミュニティの勢いとか遠心力を体感できるようになり、そうすると楽しくなっちゃってますますハマり、没入感やつながる喜びがコミュニティへの帰属意識に帰結した、というのが私に起こったストーリーでした。
さて。
そこへライフイベントが重なり、私はコミュニティから距離を置きました。遠心力を体感することはもうなくて、「勢いがあるんだなあ」「こんなことがあったんだなあ」と事実を淡々と受け止める程度になりました。
コミュニティの外側にくると、驚くほどその存在を感じないものです。
中にいるうちは「追い風が吹いている!」「この勢いはすごいぞ!」と思っても、外側からは見えない。関係人口を増やすこと、自分ごととして捉える人を増やすことがきっとその解決策の一つになるのでしょう。言うは易し。
私は10年来カスタマーサクセスの仕事をしていて、カスタマーサクセスの普及や浸透にこれからもチャレンジしていきたいと思っているけれども、中にいて感じる気運の高まりが認知度調査の結果とイマイチすり合わなかったのはこういうカラクリだったのかと感じる機会にもなりましたね。外からみると無風、中にいると強風なのは、自分ごととして受け止めエネルギーを伝搬する層が薄いから。自分ごとでなければ、せっかくのエネルギーに気づいても悪意なく止めてしまう構造ともいえるのかもしれません。ひょっとしたら、ブログを書けなくても、SNSに投稿できなくても、いいねしたりリポストするだけでエネルギーを止めないことくらいはできるのかもしれません。
なので、時々「#CMC_Meetup」等のハッシュタグ付き投稿を見たらいいねしてみたりしています。止めないために。私なりの貢献をするために。
カスタマーサクセス1年生の頃、チャーンレート(解約率)と格闘しながらお客様の契約が1ヶ月でも途切れてしまったらチャーンであるという定義にイラついたことがありました。そりゃ業務インフラ系のプロダクトなら導入した後あまり解約しないかもしれないけれど、業務支援系のサービスは常にお客様がめちゃめちゃ欲しているわけではなくて必要性に波があるんだからその波に合わせて契約したりしなかったりできたほうがお客様は嬉しいんじゃない?と思ったからです。やがて「休会」的な考え方がサブスクリプションビジネスに出てきたりとか色々ある話はさておいて、出入り自由なコミュニティはこういった「参加者側の事情による活動の波」を吸収できるんだなというのも最近の発見です。
要するに、コミュニティメンバーは常に熱量MAXで走り続けられるわけではなく波があるけれど、熱量が高いなりの貢献方法/低いなりの貢献方法があれば貢献はゼロにはならない。ゼロでなければ、停止はしない。
私にもいつかまた夜に外出してコミュニティに参加したり、自由に自分の時間を作ってSNSやブログでアウトプットできるようになりたいなという思いはあります。でも、今はできないから、せめてできることをできる範囲で。
ここまで書いて気づきましたが、私はコミュニティから離れたけれど、帰属意識は簡単になくならないんですね。例えるなら、「以前よく通ってた顔なじみのお店に最近めっきり行けてないけど、今でも心の中では行きつけだと思ってるからまた必ず行こうと思います」みたいな感覚でしょうか。会社員の方なら、産育休でしばらく離れてるけど復職する勤務先みたいな感覚でしょうか。
そんなわけで、2024年も残すところあと3週間。
コミュニティマーケティングつながりのみなさんと、またどこかでお会いできればうれしいです。